文責:ミタンニ
イタリア史の暗部「鉛の時代」
危険科学部、世界史記事の初回はイタリアを扱いたいと思います。イタリア史と言えば古代ローマ時代や華やかな近世ルネサンス文化の興隆を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。しかしあえて今回はあまり馴染みの無い現代史、それも1960~70年代の暴力と陰謀の嵐が吹きすさぶ現代イタリア史の暗部について、掘り下げていきたいと思います。
飛び交う弾丸や血から「鉛の時代」(伊:anni di piombo)と呼ばれるこの時代は、一般的に1960年代〜1970年代にかけてのイタリア極左過激派組織によるテロ行為によって知られています。同時代の日本では東大全共闘(1968)や70年安保闘争など左翼系グループによる活動が活発になっていた頃、イタリアでは極左組織「赤い旅団」(伊:Le Brigate Rosse)だけでなく、極右組織「武装革命中核」(伊:NAR)なども一般市民を巻き込んだ無差別テロを多数実行していました。具体的な事件について下記で見ていきましょう。
相次いだ無差別テロ・不穏事件
1969年12月12日、ミラノ中心部全国農協銀行にて仕掛けられていた爆弾がさく裂。隣接したフォンターナ広場を中心に17名の死者と88名の負傷者を出し、その殆どが民間人という大惨事になりました。この日を皮切りに極左組織による爆弾テロは相次ぎ、ミラノ警察本部爆破事件(1973年)、ロッジャ広場爆破事件(1974年)を経て、1980年のボローニャ駅爆破事件では日本人観光客を含む死者85名、負傷者200名となり、暴力はピークに達しました。
また爆弾テロだけではありません。この時代の主要な事件を並べると下記のとおりです。
・1969年12月12日フォンターナ広場爆破事件(死者17 負傷者88)
・1970年7月22日ジョイア・タウロ虐殺事件(死者6 負傷者66)
・1973年ミラノ警察本部爆破事件(死者4 負傷者52)
・1974年バチカン銀行と関係の深いアンブロシアーノ銀行頭取ミケーレ・シンドーナ
(伊:Michele Sindona)が殺人・マネーロンダリングの罪で逮捕
・1978年5月イタリア最長内閣(当時)を率いた元首相アルド・モーロ(伊:Aldo Romeo Luigi Moro)の誘拐・殺害事件。
・1978年8月ローマ教皇にヨハネ・パウロ一世(羅:loannes Paulus I)が就任。
が、バチカン銀行の改革を表明した33日後に突然死。
・1980年8月2日ボローニャ駅爆破事件(死者85 負傷者202)
・1982年6月17日シンドーナの後任であるアンブロシアーノ銀行頭取ロベルト・カルヴィ
(伊:Roberto Calvi)がロンドン市内の橋で首吊り死体として発見される。
爆弾・誘拐・マネーロンダリング
まず冒頭のフォンターナ広場爆破事件。事件直後に逮捕されたのは無政府主義者ジュゼッペ・ピネッリ(伊:Giuseppe Pinelli)ですが、彼にはアリバイがあり犯行は不可能でした。にも拘らず法定時間を超える40時間以上の取り調べの末、彼はミラノ警察署の4階から「転落死」してしまいます。その死が他殺か自殺かは未だ不明。その後警察は右翼組織「武装革命中核」による犯行を疑っています。
次に1978年のモーロ首相誘拐殺人事件です。犯行声明を発表したのは「赤い旅団」。
犯人メンバーは、大学でマルクス主義やネオ・ファシスト運動に参加したことをきっかけに、暴力革命も肯定する過激な組織員でした。
一方で当時のイタリア共産党(PCI)としてはあくまで議会制民主主義体制での与党政権との閣外協力を模索していました。左右両翼が複数政党に分かれていたイタリアでは、与党キリスト教民主党(DC)と連立する党の組み換えによって政局が動いており、この際も政局再編の動きがありました。共産党のベルリングェル(伊:Enrico Berlinguer)とキリスト教民主党の元首相アルド・モーロらが中心となり積極的に閣外協力や福祉国家を謳う社会党との連立を進めていたのです。
事件はそんな最中に発生しました。ローマ教皇やイタリア政府が懸命に「赤い旅団」との交渉を進めたものの、「モーロ元首相の解放と引き換えに過去に逮捕された者を釈放しろ」という「赤い旅団」側の要求は拒否されたため、首相3期を務め上げ、当時イタリア史上最長の首相歴をもっていたその男は、10発の弾丸を撃ち込まれ、キリスト教民主党本部ビルと社会党ビルの間の路上に遺体を遺棄されるという、凄惨な幕引きとなりました。
銀行家ミケーレ・シンドーナの事件は少し複雑です。海外銀行を含む膨大な銀行を取り仕切り「リラの守護者」としてイタリア財界で評価されていた彼の裏の顔は、元マフィアであり、その知古によってバチカン銀行でのマフィア資金のマネーロンダリングに関わっていたのです。先述の教皇ヨハネ・パウロ一世の急死も、シンドーナらによる暗殺とされています。そんなシンドーナの取り調べの際中に見つかったとあるリストが、今までに述べた爆破・誘拐殺人・マネーロンダリングを一本の線で繋ぎ、真の黒幕を浮かびあがらせることとなるのです。
「ロッジP2」の暗躍
1981年3月、シンドーナの家宅捜索中に見つかったある資料がイタリア政界を揺るがす大騒ぎとなります。なんと、現役内閣の閣僚、国会議員44名、シンドーナを含む49名の銀行家、軍人、警察関係者、諜報機関幹部、メディア関係者が構成員とする秘密結社のリストが発見されたのでした。(P2事件) ムッソリーニ時代以来、秘密結社の結成がイタリアの憲法では禁じられている事実以外にも、ボローニャ駅爆破事件の実行犯はこの秘密結社「ロッジP2」(伊:Loggia P2)の一員であることが発覚したのです。
「P2」とはイタリアに拠点を置く友愛結社フリーメイソンのグランドロッジ内に設置されたロッジでした。ムッソリーニ時代にマフィアや秘密結社を徹底的に取り締まった影響で、戦後時点でほとんど機能していない状態のイタリアのロッジを大きく変えたと言えるのがリーチオ・ジェッリ(伊:Licio Gelli)の存在です。1966年に入会した彼は、元ファシスト党員、戦後はファシスト党の流れを汲み、南部を拠点に伸長していた「イタリア社会運動」(伊:MSI)の幹部出身として現在の民主主義政治の否定を含む極右政治組織へと作り替えていったのです。「イタリア再生計画」と題された彼の計画からは、1969年のフォンターナ広場爆破事件を「赤い旅団」の犯行と見せかけて政府から緊急事態宣言を布告させ、その間に軍と諜報機関によって議会を停止しクーデターを実行・ファシズム体制の復活。という計画内容が暴かれました。ボローニャ駅爆破事件を含む過去の爆弾事件も極左勢力に対する「反共」世論の反発気運を育てるために関与していた事が明るみになります。
モーロ首相誘拐の裏と「グラディオ計画」
ではアルド・モーロ元首相誘拐殺人事件についてはどうでしょうか。モーロが共産党に対し閣外協力などで融和を試みていたのは先ほど触れたとおりです。しかし当時の首相アンドレオッティ(伊:Giulio Andreotti)は反共・保守的な立場から左派政治勢力への妥協には否定的で、モーロ元首相とは対立関係にありました。またアメリカ政府も共産党の参画について「大きな懸念」をキッシンジャー国務長官(米:Henry Alfred Kissinger)からイタリア政府に表明しています。最終的にモーロ救出失敗の要因はアンドレオッティによる「赤い旅団」との交渉拒否と言われていますが、実は「赤い旅団」の中にはCIAのスパイが潜入していたことがわかっており、また誘拐事件の担当警察官はすべて「P2」出身者で固められていた、とのことです。
アンドレオッティ自身は「P2」に入会していないものの、元締めリーチオ・ジェッリやミケーレ・シンドーナと大変親しく、教皇の突然死やマネーロンダリングとの関係も指摘されていますが詳しくはわかりません。
アンドレオッティら保守派の政治家や「P2」会員が活動資金を求めた先が、CIAとNATOが進めていた「グラディオ計画」(英:Operation Gladio)です。グラディオ計画とは、「反共の強力な指導者を国民が求める」、もしくは「反共政権に国民の支持が向く」ように暴力行為や世論・政治への工作を行うという内容です。
この「極左政権誕生阻止」を図る「グラディオ作戦」のためにイタリアの世相は暴力に刺激され、多くの民間人が死亡・負傷しました。マネーロンダリング問題と教皇の死亡にも影響があったとされます。当のアンドレオッティが計画の存在を1992年に暴露し、自身の関与を認めました。
未だ全貌が明らかになっていない巨大な「夜の外側」は21世紀のイタリアにおいても大きな影響を残しています。
イタリア現代史連載の告知
あまりにも血と陰謀が多い「鉛の時代」の概略、いかがだったでしょうか。
そもそもここまでの暴力と政治的対立に至る背景について、次回以降は取り上げたいと思います。今後の予定は下記のとおりです。
2.イタリア統一後の矛盾~第二次世界大戦敗戦
3.東西冷戦とその後
4.「鉛の時代」のその後 ベルルスコーニ~メローニ首相
5.現代イタリア思想史 ※仮
一部連載内容に変更が生じるかもしれません。
また、今回の記事で「鉛の時代」に興味を持っていただいた方は、下記のコンテンツがおすすめです!
1.『【ゆっくり解説】イタリア史上最悪の時代 : 鉛、陰謀、ロッジP2』
https://youtu.be/UjkW2xUfhvs?si=2JZ1NdwUQAt1nWAU
・「元過激派の霊夢」氏による1時間程度のゆっくり解説動画
・圧倒的情報量と編集の巧みさに引き込まれてしまいます。
・本稿著者を含む歴史オタクに「鉛の時代」が浸透している震源です。
2.映画『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』(原題:Esterno notte)(2024.8.9日本公開)
公式HP:https://www.zaziefilms.com/yorusoto/
予告編:https://youtu.be/02rZnhYAFgI?si=KM0VMxz3Tewyj0VT
・マルコ・ベロッキオ(Marco Bellocchio)監督による340分の長編映画。
・本稿で書かれたアルド・モーロ首相誘拐事件を主題に、6つの視点から事件を掘り下げています。
・本稿タイトルもこちらのタイトルから一部引用しました。
3.映画『夜よ、こんにちは』(原題:Buongiorno, notte)(2006.4.29日本公開)
公式HP:https://www.bitters.co.jp/yoruyo/
※予告編もHPからご覧いただけます。:
・「2」と同じくマルコ・ベロッキオ(Marco Bellocchio)監督による作品。
・こちらもモーロ首相誘拐事件が題材で、犯人側の視点となっております。
4.『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』(原題:Romanzo di una strage)(2013.12.21日本公開)
公式HP:https://moviola.jp/fontana/
予告編:https://www.youtube.com/watch?v=6u48YYSiCpM
・マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ(Marco Tullio Giordana)監督によるドラマ映画
・フォンターナ広場爆破事件を題材にした129分の作品です。
それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました!
凡例
伊:イタリア 羅:ラテン 英:イギリス 米:アメリカ
参考文献
1)Simona Colarizi, 2000, Storia del Novecento Italiano:cent’anni di Entusiasmo, di Pause, di Speranza, Italy: Rizzoli.(村上信一郎 監訳, 2010, 『イタリア20世紀史 熱狂と恐怖と希望の100年』,名古屋大学出版会)
2)L’Huffington Post,“Il filo rosso e il filo nero degli anni di piombo”,<https://web.archive.org/web/20190227182149/https://www.huffingtonpost.it/nicola-lofoco/il-filo-rosso-e-il-filo-nero-degli-anni-di-piombo_a_23303020/>,2024/08/08
3)Archive.is ,“Libri sulle BR”<https://archive.md/20120722002314/http://www.brigaterosse.org/brigaterosse/Arte/cinema/AnniDiPiombo.htm>,2024/08/08
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