文責:ミタンニ
はじめに
2024年8月5日、皆さんはこちらのツイート(ポスト)をご覧になりましたでしょうか。
日本ではいつも通りの猛暑の一日だったこの日、バングラディシュでは「熱い」政治的激変が発生していたのです。
学生運動によってシェイク・ハシナ首相が国を追われ、治安の悪化に伴って軍が一時的に政権を担った、という事実上の「革命」です。
日本の報道では馴染みが薄いバングラディシュの政変ですが、果たしてどのような意味を持つ出来事なのでしょうか。
事件の概要
発端は2024年の総選挙でした。結果はバングラディシュの与党「アワミ連盟」が圧勝。
しかしこの裏にはハシナ首相が野党幹部の大量逮捕を行い、主要野党がボイコットした結果、投票率が大幅に低下していたという背景がありました。
さらに、問題視されていたのが「公務員採用の特別優遇枠」です。
こちらはバングラディシュ独立戦争(1971年)の退役軍人に対して、優先的に公務員採用を得られるという制度であり、なんとこれはバングラディシュ人民共和国憲法にも記載されているのです。
一般国民から不公平性が強く指摘されていた本制度。一時はハシナ首相は改正も匂わせていました。しかし改革は遅々として進まず、学生たちの怒りの種となりました。
7月16日から学生デモが激化し、警察の暴力的鎮圧で多数の死者が発生。
最終的にハシナ首相は辞任し、暫定政権が発足しました。
暫定政権の首席顧問となったのは、ムハンマド・ユヌス氏。貧困層や失業者などに少額枠から融資を行う「マイクロクレジット」を確立し、ノーベル平和賞を受賞した人物です。
ユヌス氏によって、デモで拘束された学生や野党党首が釈放。抗議デモでは国連によると650人が死亡し、多数の負傷者や拘束者が出ました。
”独立以来の万年与党”「アワミ連盟」
バングラディシュはインドに隣接する国で約1億6468万人の人口を誇ります。
日本にもバングラディシュの工場で生産されたアパレル製品が多く流通しており、見たことがある方も多いのではないのでしょうか。
そんなバングラディシュですがイスラム教を信奉していたことで、イギリスの植民地支配から独立した1949年の際には「東パキスタン」としてパキスタンの一部扱いだったのです。その「東パキスタン」と呼ばれていたベンガル地方(現在のバングラディシュ)は、西部パキスタンとは地理的にも文化的にもかけ離れていた上に、共通項がイスラム教しかありませんでした。
挙句にベンガル地方の総選挙で支持を得た政党が、パキスタン側から軽視され、全国議会では議席を得られないという出来事が起こりました。
この政党こそが、全パキスタン・アワミ・ムスリム連盟として設立され、1955年に「ムスリム」の語を除いた名前に改称された「アワミ連盟」です。
やがてパキスタンからの独立戦争によって「東パキスタン→バングラディシュ」となり、アワミ連盟は第一党になりました。ここから現在まで、たった8年を除いてアワミ連盟が44年間もの間、政府与党の座にあったのです。
「バングラディシュ人民共和国憲法」から見る「秩序」
さて、先述の今回の政変が起こった要因の一つである「公務員採用の特別優遇枠」とは一体どのような制度なのでしょうか。
明石書店の「新版 アジア憲法集」で「バングラディシュ人民共和国憲法」の条文を確認してみます。
第2編 国家政策の基本原理
第9条 バングラディシュ国民の統一及び団結は、その言語と文化の一体性から生じ、独立戦争において一致団結し、決意を固めた闘争を通じて主権を有する独立したバングラディシュを達成する原動力となり、バングラディシュ民族主義の基礎を形成するものである。
このように、憲法の本文で独立戦争の重要性を謳い、その闘争の記憶こそが国家の根幹だと定められています。
続いて、公職への機会均等の条文です。
第3編 基本的権利
第29条 共和国の公務への就任および職への任用に関して、全ての市民は機会均等である。(中略) 本条の規定は国が以下各号の規定を定めることを妨げるものではない。
(a)後進地域に属する市民が、共和国の公職に適正な数の代表者を確保する目的のための、これらの者に有利な特別の規定。(強調部分 本文筆者)
この条文に基づいて定められているのが、
性別・宗教・民族的少数派・出身地・障碍者、そして独立戦争に参加した兵士の子孫に優遇されている公務員のクウォーター制度です。
兵士の親族であれば無条件で公職を得られるこの仕組みに対し、失業率5%にも及び雇用が少ないバングラ国民の間では長年不満が燻ぶっていたのです。さらに第29条の機会均等を謳った条文との矛盾も指摘されていました。
また、シェイク・ハシナ首相(女性)の任期は1996年~2001年、2009年~2024年の延べ20年以上に及び、2014年の総選挙では、公平性が保たれていないとして野党がボイコットしたにもかかわらずアワミ連盟が圧勝するなど、その政権運営には疑問符を持たれていました。
8月5日までのバングラディシュは、独立以来50年以上続く与党を率いる20年以上任期を務めている首相が、50年前の戦争経験者家族の優遇をはじめ、一党他弱な政治運営だった、という状況と言えます。
独立以来の秩序を覆したのは「Z世代」だった。
こうした長く続いた秩序を破壊したのは、10代や20代の若者が中心の学生運動でした。
この政変の発端は7月1日のダッカ大学での学生デモです。
そして7月18日にバングラの主流SNSであるFacebookである動画が拡散されました。
警察部隊が大学生の抗議者の男性を路上で頭を叩きつけてそのまま放置する内容で、アムネスティインターナショナルによると、この傷が元で男性は亡くなったといいます。
こうした治安部隊の強権が動画で一気に拡散され、運動は拡大しました。
しかし、これらの運動には負の側面もあります。
冒頭のツイートはこの政変に遭遇したバングラディシュ人の女性の発信です。
警察機能が崩壊し、暴徒と化した群衆によってマンションが襲われたり自動車が破壊されるなど危険な状況に陥っている状況がリアルタイムで生々しく発信されていました。
他にもハシナ首相の父で国父とされる人物の生家や博物館が放火の憂き目に遭いました。
これらは暴力的な政治活動が見せる恐ろしい面です。
現在、発足した新政権によって治安は改善傾向にありますが未だ日常への回帰とは言えない状況が続いています。
バングラディシュの安定を願いながら、引き続き学生運動の行く末に注目していきましょう。
それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました!
註 記事の内容はできる限り裏取りをするよう努めておりますが、情報に誤りが発見され次第、直ちに修正し、修正箇所を明示しようと思います。
参考文献
1)Noska🐈⬛. (2024, 8月 5日). 首相官邸襲撃、破壊と略奪がおきてます. Retrieved from https://x.com/arvisnoskario01/status/1820395946955411641.
2)https://www.facebook.com/bbcnews. “バングラデシュで政権崩壊、首都は喜びと混乱に 首相はインドに脱出.” BBCニュース, 6 Aug. 2024, www.bbc.com/japanese/articles/c3d99ngx9rno . Accessed 21 June 2025.
3)鮎京正訓, et al. 新版アジア憲法集. 31 Jan. 2022.明石書店
コメント